世の中の人の一定数は、常に誰かを応援したいがっているのかもしれない。
今風に言えば、「推し活」というものだ。
私は完全に合理的自己主義なので、そういった気持ちは、ほとんどない。
だから、スポーツ観戦とか、全く興味がない。
他人がしていることに興味がないのだ。
だから、他人を応援する気持ちにもならない。
キャバクラとか、ホストクラブに通う人がいる。
本来の目的、恋愛関係に発展することはまずないにも関わらず、大勢の人間が通いつめ、金を散在する。
これだって、ある意味“応援”の行為であり、リアルな推し活だ。
ある人が好きで、動画内で投げ銭をする。
見返りなんてありゃしない。
ただ、応援したいだけ。
「応援する=お金を渡す」という行為は、実にわかりやすい。
お金を渡した行為は、形として残るし、生活費や活動費をまかなえるので、当人を直接的に支援でき、理にかなってもいる。
言葉だけで「応援してます」というより、何百倍も価値はあるだろう。
ただ、人間なので、悪用する者もいるだろう。
「援助して」「支援して」「応援して」。
イヤと言えない男気のある男、情の深い女…そういった人間は、それらの言葉を鵜呑みにする。
なにせ、お金を出している自分のことが、一番好きなのだから…「こんなに男気のある俺様」「こんなに優しさいっぱいのアタシ」。
応援なんて、ただのマスターベーションに過ぎない。
結局は、その人のためではなく、自己満足のためにしている行為だ。
本当にその人を応援したいのなら、魚をあげるのではなく、魚を釣る方法を教えてあげるべきだ。
応援という行為を、お金を渡すという簡単なことで済ませようとするから、悪用されたときに簡単に詐欺られてしまうのだ。
上の動画をさして、「推し活詐欺」と言うつもりはない。
ただ、これはこれで異様な世界である。
さながら、生身の人間を使った課金ゲーム型エンタテインメントだ。
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