2021年11月29日 田端照代(仮名) ネットワークでの上野明美の上の人物



田端照代(仮名)と話をしたかったかと聞かれると少し困る。

好奇心とわずらわしさが低レベルで拮抗し、話したくもあり、話したくもない存在となっていた。

田端の婆さんは、組合をやっている人間らしい。

事業をてがけ、その運転資金やら活動費や経費に何かとお金がかかるらしい。

田端に関する話は上野からのまた聞きであり、義母である高田永子はもちろん、上野すらよくその事業内容や田端照代という存在を把握していないようだった。

確実に言えるのは、上野がお金を渡しているのが田端であるということだ。

田端がトップなのか、それとも一味なのか、はたまた田端すら騙されている側なのか、それは知る術がなかった。

ただ言えるのは、私を含め高田の者は、義母の永子も含め、半年前にもう終わりにしたはずだったのだ。
田端がらみのことは。

臭いものにフタかもしれないが、田端とのことはなかったことにし、確実に借用書に署名させた上野とのやりとりだけを今後の視野に入れていた。

もちろん、半ばあきらめつつだが。

それがここにきての、永子婆さんの離反、裏切り。

話が振り出しに戻るどころか、悪くなっているかもしれない。


この日の上野は執拗だった。

「どうしても30万円必要なのよ」と、上野は飢えた目で、何度も繰り返した。

「どうしても必要だ」と田端から何度も言われていたのだろう。

上野の欲望に満ちた、いやむしろ己の欲望しかない目。

以前にも似た目をした女に見つめられたことを、私はふと思い出した。

彼氏に相手にされず、肉体の火照りに耐えられず、真夜中にやって来た私の店の従業員だったあの女。

あのメス豚のような、性欲に飢えたあの女も同じ目をしていた。

ただただ、おのが欲望を満たさんと苦しみ、もがきながらも、なんとか愛想をよく振舞おうと努めている、欲情に燃えたぎった目。メルドゥー、胸糞悪い。


「30万円必要なのはわかりました。でも、何に使うお金ですか?」と、私はつとめて穏やかな口調で言った。

「詳しい話はわからないんだけど」と上野は話し始めた。

「今、コロナで病床を増やす必要があるでしょ?それで国の方からそういう病院に助成金とか補助金とか、出る政策があって、それが今、田端さんの方で進行していて、それがうまくいけばお金はすぐに戻ってくるの。でも、そのお金がないと話が進められなくて、お金が戻ってこなくなるの。もう少しなの」

「へえ」私は生気のない声しか出なかった。「それでなんで30万必要なんですか?」

「私も詳しくは説明できないんだけど、申請の書類に“京”の桁の数字、"兆”の次の数字があるでしょ。あれが必要で、コンピューターをリースして、それで数字は出たんだけど、リースした機材を返すのに30万円必要で、それを返さないとその書類が完成しなくて、その書類が完成しないと申請もできなくて、申請できないとお金も入ってこなくなるから、だから30万が必要なのよ」と上野は言った。

みなさんは上野の言葉を理解できましたか?

正直、私には理解できなかった。

まず第一に上野本人が事業内容をよく説明されていないため、本人すらよくわかっていないことを説明しなければならないということ。

第二は現実世界では、まぁありえない論理の上でのお話に基づいているということである。

この要素が絡まりあって、致命的な難解さを生み出している。


1 国の行っているどの事業なのか?

2 なぜわざわざコンピューターをリースしてまで数字を出さなければいけないのか?委託しないのはなぜか?

3 リース契約の段階で、機材の引き上げ費用は含まれないのか?


いずれにしても花ばかりで、根っこの見えない話である。

「わかりました。30万円必要なら私が出します。ですから、リース会社の振込先を教えてください。連絡先を教えてください」

「それは田端さんじゃないとわからない」

「それじゃ、本当にリース会社に振り込むためのお金が必要かどうかわからないじゃないですか?本当にそのお金が必要なら、私がリース会社に振り込みますので、教えてください」

「だって、私にはわからないし、田端さんじゃなければわからないし、田端さん、必要な書類を取りに熊本に飛行機で行くって、今、羽田で飛行機待ってると思うから、電話してみようかしら、11時55分のフライトだから」と上野が言い、私たち3人は同時に時計を見上げた。

時計の針は11時45分。

もし、本当であれば、もう搭乗しているだろう。

今回ばかりはよほどのことだったのであろう。

上野は少し躊躇してから、おもむろにスマホを取り出し、田端に電話を掛けた。


1コール、2コール、3コール…本当に飛行機に乗っているのか、乗っているふりをするために電話に出ないのか…4コール、5コール…。

「はい」

出た、田端照代が電話に出た。

少ししわがれた場末のスナックのママのような声が、上野の当てた耳元のスマホから聞こえてきた。


「田端さん、今ね、高田さんの家にいるんだけど、息子さんに説明してほしいのよ」

「え、何?説明?」

「今、していることの説明をしてほしいのよ」と上野は言い「電話代わるからね」と私にスマホを手渡した。

私は上野からスマホを受け取り、テーブルの上に置き、スピーカーのボタンを押した。


「もしもし、高田です。高田永子の義理の息子です。」

「あ、高田さん、どうも」びくりともしない声音。肝の据わった婆さんだ。

「今回、30万円必要で、そのお金はリース料だって聞いたんですけど、事業内容とか教えていただけませんか?」

「いや、それはね、教えられないの。守秘義務っていうのがあって、守秘義務違反になってしまうから」

「もちろん、事細かに教えてくれっていうのじゃなくてですね。守秘義務違反にならない程度でいいのでね」

「そんな電話じゃ簡単に説明できないのよ、今度、会って話しますから」

「今度会ってって、今、お金が必要だからっていうので、説明も聞かないでお金出せないでしょ?」

「ちょっと今ね、九州に出張で行くので、羽田で飛行機待っているのよ、忙しいのよね」

「ごめんね、田端さん、そうだよね」と上野が横から言うと「それじゃ、切るからね」と田端は電話を切った。


「今ちょっと忙しいみたいだから…」と上野の婆さんは言い、同じ困り顔の義母と目を合わせた。

私は自分のスマホを取り出し、「羽田空港 フライト時刻」と検索した。「11時55分」の羽田発熊本行きの便などはなかった。

そのことを指摘するとさすがの上野の表情も少しかすんだ。


「やっぱり、おかしいですよ、詐欺ですよ」と私は主張した。

「詐欺じゃないもん」と上野は言う。「だって、詐欺だったら困るもん私たち」

70を過ぎた老婆が2人、お互いの目を見つめあいながらうなづきあう。実に気持ちの悪い光景だった。


「もう一回田端さんに電話してみるわ」と上野は再度田端へと電話する。

さすがにもう出ないだろうと、思いながら4コール、5コール…田端が電話に出る。

すかさず私はスマホを手にし、スピーカーに切り替えた。


「田端さん、何度もすみませんね、出張のお忙しい時に。フライト時刻は何時ですか?」私は素知らぬていで、田端に尋ねた。

「JAL熊本行き、12時55分」と田端は答えた。

私はすぐさま自分のスマホのさっきの羽田のページを開いた。

ある。日本航空、熊本行き、12時55分発。

これだけで田端のすべてを信じられるわけではないが、一応ニュートラルに聞く耳は持った方がよさそうだ、と私は思った。


「お金を振り込みますので、振込先を教えてください」

「それは教えられないわよ、守秘義務があるんだから」

「それじゃ、せめてどのリース会社かを教えてください」

「そういうもの言えないの」

「だって、こっちは田端さんにお金を出しているわけでしょ?」

「私は高田さんとは直接はそんなに知らないわよ」高田の婆さんも田端の言葉にうなづく。「私は上野さんとやりとりしてるだけなので」

「でも、私の家のお金も出しているので、少しはお話を…」

「今は、九州に出張に行かないといけないので、忙しいの。電話で話せるほど話が簡単じゃないの、今度会って話しますから」

「お会いしてお話しする前に、事業内容を郵送でもメールでもいいからいただきたんですけど」

「そんなね、文章にできるような、簡単に説明はできないの。ですから会って話しますから」

会って話すと言い、埒のあかない田端の婆さん。

「それじゃ、会う前に電話でやりとりしたいので、今、これ上野さんのスマホでしょ、上野さんから田端さんの電話番号教えてもらってもいいですよね?」


「それはダメ!」

「だって、会って話をしてくれるのに、その前に連絡先を交換しておいたほうがいいじゃないですか」

「それは嫌、教えないで」

「どうしてですか?」

「嫌だから」

会って話すのは構わないけど、電話番号は教えてくれない婆さんがいるとは、やれやれ困ったもんだ。

「絶対教えないでね。それじゃ忙しいから」と田端の婆さんは一方的に電話を終わらせた。

「お金はどうしたらいいのだろう?」田端から残された私たち3人に残されたのは、そのことだけだった。

しかし、もういい加減うんざりしていたので、私は義母の永子婆さんに提案した。


「お義母さんの通帳とカードを担保にしてくれれば、10万なら出しますよ」

10万なら永子の1回の年金受給で十分回収できる金額だ。

「えっ」と明らかに不満そうな表情で義母は私を見返した。

「どうですか?」

「でも、10万じゃダメなのよ、30万じゃないと」と上野が言う。

「30万なんて出せるわけないでしょ、ドブに捨てるのをわかっていて、馬鹿なこと言わないでくださいよ」

カチンときた私は「10万も無理。5万ならいいですよ。お義母さん、通帳とカードを持ってきてください。それと引き換えに自分の口座から5万円おろしてきますから」


義母の高田永子は完全に固まっていた。

緊張のため、口が乾くのか、何度も舌で唇を舐めている。

極限状態になると出るこの人の癖である。


「どうしますか?持ってこないなら、もうこの話はこれで終わりですからね」

私は数秒待って、永子が動かないのを確認して、老婆2人をあとに残した。

永子が賢明な判断をしたのか、それとも別の理由があって、自分の唯一の資金源である年金を私の手にゆだねなかったのか…後になってわかったことは…。



コメント