2021年3月28日 「生活福祉資金(総合支援資金特例貸付)の申請辞退について」

 


私がしつこく脅したせいであろう、義母の高田永子はすぐさま自分のスマホで上野明美に電話した。

お昼になるかならないかの時間、私は永子から呼ばれ、階下へ降りた。

そこに上野の婆さんがいた。

立ち話もなんだからと、義父に聞こえない2階の私の部屋で話をすることにした。


「どうもすみませんでした」と上野明美は言った。

「どういうことですか?」

「全部私が悪いんです」

「うん?」私はうなづき返しながら、なるほどと思った。

借りたのは確かに高田永子だった。

しかし、特例貸付の絵を描いたのは上野明美だったのだ。


「私がもうお金を借りられなくて、それで仕方なく高田さんにお願いしたの」

「そういうことですか」

「そうなの。だから、高田さんは悪くないの。お金だって、来月になれば戻ってくるし」

「はぁ、そうですか。だったら自分で…」

自分で借りればいいのに、と言おうとしたが、銀行はもちろん、友人知人、消費者金融すら相手にしてくれない状態だったようだ。

「でも、これって犯罪なのはわかってやってるんですか?」と私は責めた。

「でも、お金が必要だから」

「お金が必要だからって。私ら高田の人間はいいですよ。でも、コダマちゃんちは牧師先生でしょ?こういうのってマズイですよね。身内から詐欺師が出るのは」

「…」さすがに黙り込む上野明美。

「警察に行きましょう」

「それはちょっと」

「気持ちはわかりますけど、嘘はいけないでしょ」

「私がきちんと返しますから」

「いや、そういう問題じゃない」

「来月には返せるお金なんで、高田さんに無理を言って、ね」と、なぜか永子に同意を求める上野の婆さん。

「私もそのお金の中から、生活資金が必要だったから」と、なぜか自らもイバラの道を歩こうとする高田の婆さん。

「はぁ、そうですか。でも、ダメなものはダメです。お義母さん、生活費で足りない部分は私が貸しますから。本当に必要なものなら、私かヒカリが買ってくるから、買い物リストをくれって、いつも言ってるじゃないですか」高田の婆さんは買い物が好きなのか、お金が好きなのか、モノではなくカネをいつも欲していた。


しばらく黙り込む中年男(わたし)と二人の婆さん。


「いや、そもそも」と私は上野に向かって言った。

否定されたら終わりだけど、単刀直入に聞いた。

「義母は上野さんにお金を渡してるって言ってますけど、受け取っていますか?」


「はい」

あっさりと認める上野。

あ、認めるんだ、と私は素直に驚いた。

てっきり白を切るものかと思っていた。

「いくらくらい?」私は聞く。

「600万くらいかな」と上野は答えた。

いやいや、計算が合わない。


「いや、お義母さんは上野さんに1500万くらい渡してるって言うけど」私が義母の顔を見ると、そうですよ、という肯定の表情。

「そんなには、受け取ってない」と言う困惑顔の上野。

「え、どういうこと?お義母さんは、確かに渡してるんでしょ?」私は永子に尋ねた。

「うん」と言う永子もいささか困った表情。

「私は預かっただけだから」と上野。

「預かっただけ?」

「そう、私は預かっただけで、すぐに渡してるから」

「だから、上野さんは関係ないの?」

「関係なくはないわよ、私だって、私のお金だって渡してるんだから」

「誰か上にいるの?上野さんの投資話じゃなくて、上野さんが誰かの投資話にのっかてるの?」

「そう」

「誰?なんていう人?」

「田端照代(仮名)」

「で、何をしている人?」

「組合をしている人」後で検索を掛けたら、商業都市にある環境ナンタラ研究所という組合だった。

「女の人?いくつの人?」

「70歳」

また、婆さんか…と私は思った。

「で、その人にお金を渡したの?」

「そう」

「それは、貸したの?出資したの?」

「預けたの」

「預けたのはわかるけど、借用書とか契約書とか、そういったものはどういう種類のものになっているんですか?」

「ない」なぜか自信満々に言う上野。

「ない?ないってどういうこと?」

「だって、すぐに戻ってくるから大丈夫なのよ、そういうのは」

「はぁ?」


なんなんだ、この2人の婆さんの逝きっぷりは…。

借用書や契約書の類が何もないのに、誰かを信じ切るこのやばさ…。

まぁ、今更、こんなことを言ってもしようがない。


「これっていつから始まったんですか?」

以下、ことの顛末。

始まりは6年前、2015年だった。

初めは200万円。

これは義父の高田優も絡んでいた。

高額な投資話だったので、義母も自分だけの判断ではどうしようもできなかったのであろう。

義父の保険を解約し、それを上野に預けた。

義父名義の保険だったので、本人の署名が必要だったのだ。

上野が義父を一生懸命説得したらしい。

義父も相当渋ったのであろう、挙句の果てには、来月には2倍にして返すと上野は言ってのけた。

根負けした義父は自らの手で保険を解約し、上野に200万円を託した。


義父は決して卑しい人間でも、強欲な人間でもない。

頭はよくはないが、決して悪いわけではない。

他人に対してはいい人であり、よほど頼まれたらNOと言えない心根の優しい人である。

上野の執拗な説得に根負けし、そこまで言うならと、200万円を渡したのであろう。

そう想像することは難くない。

もしくは投資詐欺特有の熱病にかかっていたのかもしれない。

本当のところは義父しか知らないところのものである。

しかし、今現在、義父が上野のことを毛嫌いしていることは間違いなかった。


とっかかりは200万円だった。

そして、その後、その200万円を取り返す高田永子の旅が始まったのである。


「来月には200万円は戻ってくるから、今月20万円用立てて」と言われ、高田の婆さんは200万円のために20万円さらに差し出す。

当然、200万円は戻ってくるわけはなく、今度は220万円を取り戻すために、相手の言い値を払い続ける…。

10万、20万、30万…。

預けた額に比べたら、それを取り戻すためのお金くらいささいなものだ、と錯覚し始める。

預けている額が増える、怖くて計算もできない…。

来月には戻るというその言葉を信じて、高田永子はなけなしのお金を上野に預ける、上野は上野で、自分のお金プラス知人からのお金も田端に預けているから、戻ってもらわないと困る、だから、熱も入る、来月の入金のために、今月田端にお金を入れる…無限ループ、無間地獄。

1年たち、2年たち、3年たつ、もう戻れない、ここでやめたら、今までのお金が戻ってこなくなる、1000万は超えているだろうか?怖くて計算できない、でも、来月にはまとまったお金を戻してくれるって言ってるから、まとまったお金っていうくらいだから、500万?もしかしたら1000万円全部。

高田永子は来月になれば、すべては解決している、と今月もまたお金を渡す。

そして、翌月になるが、それはまた新たな【来月】と【今月】の始まりに過ぎないのであった。


「それで上野さん」大体の話を聞き終わり、私は上野に尋ねた。

もちろんダメもとで。

「上野さんは600万円は義母から借りていることを認めるんですね」

「それはね、確かに借りたからね」

素直に認めたね、と私はいささか感心した。

「初めの200万円と後からの400万円くらいは、高田さんに無理言ってお借りしました」

「なるほど。でも、借用書はないですよね?」

「そうね、でも、お返ししますから」

「もちろん、上野さんのことを疑っているわけじゃないですけど、一応ね、私が作ってきますから。まぁ、利息はいらないんで、月に3万円くらいずつ返してください」

「お金が入れば、返せますから」

「そうですね。お金が入らなくても、パートとかでね、3万くらいなら返せるでしょ?」

「どこかパートで働いてでも、返しますから」

そんな感じで、一応口頭での借金の返済について確約をとれた。

「上野さんもそろそろ田端さんからお金を返してもらって、それでうちの返済にすればいいですから、ね、お願いしますよ」

 

借金の件に関しては、上野に対してのみ進展があった。

おそらく田端に渡しているお金、約900万円はダメだろう、絶対に借りているとは言わないだろうし、そもそも知らないと言われたら、ジエンドである。

高田の婆さんは、つくづく愚かな人間だなぁ、とこの時しみじみと思った。

特例貸付の方はまだ話が済んでいないことに私は気づいた。


「やっぱり、これは、犯罪行為なので、今からでも3人で警察に行きましょう」

私はこの日、何度、この言葉を繰り返したことであろうか。

「しばらく待ってください」と上野は言った。「この件はなんとかしますから、ちょっとだけ時間をください」

「なんとかって、なんとかなる問題じゃないでしょ」

「とにかく3月いっぱいまで時間をください」

そう言うと、2人の婆さんは、そそくさと私の部屋を出ていった。

おそらくこれから、ない頭で一生懸命考え、二人で何時間も話し合うのだろう。

特例貸付の初めの入金は4月。

3日間は待つことにして、永子が何もしないのであれば、4月になったら改めて何か行動しよう、と私は考えていた。

 

3日後の2021年3月31日。

私が仕事から戻ると、義母の永子は貸付の申請を辞退したと言った。

上野と相談した結果、警察ではなく、市の社会福祉協議会に行ったそうだ。

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