何がどうだとは、はっきりと言えないが、ヒカリは母の挙動に不審さを感じていた。
母の高田永子はこのところ、どこかそわそわとしたところがあった。
母とは心通じるところはないけれど、実の娘であり、長年一緒に暮らしている関係だった。
だから、そういった些末な変化には気づきたくなくても気づいてしまう。
今までのこともあり、ヒカリは母のすべてに対し、猜疑心と不信感を抱いていた。
だから、ヒカリには母のちょっとした挙動を吟味したくなくても、吟味してしまう癖がついていた。
そわそわとした行動、電話で話す誰かとのひそひそ話…。
ヒカリが母の電話の話に耳を傾けると、何やら怪しげな投資話が漏れ聞こえてくる。
嫌な予感は当たるものだ。
母のことをますます信用できなくなる。
「しかし、わたしに何ができるというのか?」あきらめと安堵のまじった感情を抱えたまま、母や家族との普段の生活をやり過ごす。
「わたしが何も詮索しなければ、ただやり過ごせば、これ以上悪くなりはしない…」と自分に言い聞かせ、ヒカリは怒気をはらんだ目で、時々母の背中をにらんだ。
ただ、ある日、見過ごすことのできないものを見つけてしまった。
借用書?給付金?60万円?
ヒカリの手には、新型コロナの給付金貸し付けの書類が握られている。
「なにこれ」が初めに感じた感情であり、「どうしよう」が次に感じた感情だった。
虫の予感というのだろうか、神のお告げとでもいうのだろうか、猜疑心で入った母の部屋のタンスの中からその用紙が出てきた。
おそらく借用書の類であるというのは、世間知らずのヒカリにも察しがついた。
そして、そこにある数字「60万円」。
決して小さくない額に、ヒカリは少し動揺した。
上野明美にお金を渡していたことは、薄々感づいていた。
以前、上野がらみの投資話を聞いていたから。
ただ、借金をしているとは、そこまでは想像すらしていなかった。
自分一人では対処できないし、もちろん看過することもできない。
ヒカリは給付金申請用紙を手にしたまま、しばらく母の部屋で固まっていた。
ヒカリは自分の部屋に上がり、気持ちを落ち着かせようとあえて大げさに深呼吸した。
それから、まず妹に話すべきか、夫に話すべきか、これをどんな風に話すべきかを考えた。
スマホを手に取り、気を紛らわせようとパズルゲームのアプリを開く。
当たり前だがまったく集中できないし、気もまぎれようがない。
「ダメだ」ヒカリは思わず声に出していた。
ヒカリはラインアプリを開き、妹のコダマのトークルームをタップした。
なんて書いていいかはわからなかった。
とりあえず何か書こうとスマホの画面を叩いた。
「ちょっと、話がある。お母さんのこと」
今14時だ、コダマがパートに出ていれば、返信は夕方までないだろうな、と思いながら、ヒカリは自分のスマホを見つめた。
時間をつぶすために録画しておいたテレビ番組を見ようと、テレビをつけ、レコーダーの電源を入れた。
ヒカリは適当な番組を選び、見るとはなしにテレビ画面を眺めた。
これからどうなるのだろう?という気持ちと、わたしはどうしたらいいのだろう?という2つの気持ちに、ヒカリは押しつぶされそうになっていた。
ふいにスマホの着信音が鳴り、ヒカリは思わずびくりとした。
「どうしたの?」妹のコダマからの返信だった。
「お母さん、借金をしてるみたい」ヒカリはスマホをタップした。
「えっ、どうして」
「わからないけど、多分、上野に渡してると思う」
「えぇ~」
「今からお母さんに聞きに行く。また、ラインするから待ってて」今からお母さんに聞きに行く、というのは妹と話をしながら、ふいに心が座って打った言葉だった。
貸付書を手に、ヒカリは下へ降りて行き、母に声をかけた。
「お母さん、ちょっといい?」
「なに?」
「ちょっと」と言いながら、父の優に聞こえないように台所へと母を誘った。
「これなに?」と、ヒカリは初めから問い詰めるような口調で母に迫った。
「何って?」母は目をこらし、自分の署名がある見覚えのある紙を凝視した。
「これは…」気づいた瞬間、義母はさっと手を出し、ヒカリからそれを取り上げようとした。
しかし、ヒカリは予想していたかのように、母の手を振り払い、貸付証書を母の手には渡さなかった。
「これって、借用書だよね?給付金の」
「そうだよ」永子は少しだけ居直った。
「なんでこんな借金をするの?」
「必要だからよ」
「何に?」
「大丈夫だから、心配しなくて大丈夫だから」明らかに話をはぐらかそうとしている母の言葉に、ヒカリは確信的なものを感じた。
「上野さん?上野さんに、また渡してるの?」
「そうだよ」
「…」明らかに居直った態度の母を見て、ヒカリはこの場から逃げ出したかった。
自分に非はないし、間違ったこともしていない。
でも、この場から逃げ出したい気分になっていた。
もしかしたら、目の前にいる、このあほたれ婆さんが自分の母親だという現実から逃げ出したかったのかもしれない。
「ちょっと今夜、コダマも交えて話しましょう」ヒカリは母にきっぱりと言い、自分の部屋に上がっていった。
とりあえず妹へラインする。
「やっぱり、上野にお金を渡していたらしい。今夜、子どもたちが寝てから、テレビ電話で話したいんだけど、いいかな」
「うん、いいよ」と妹のラインがすぐに返ってきた。
気が重い、とにかく気が重い、しかも旦那は今日、夜勤だったとか言ってなかったかな?とヒカリは沈鬱な表情で、心の中でつぶやいた。
Cさんにもラインしておこう、とヒカリはスマホを手に取った。
ヒカリ「お母さんのことについてみっちーとこだまと今夜テレビ電話で話合う予定です…。気が重いけど」
ヒカリ「みっちーがCさんに言っといた方がいいよって」
C「何かあったの??」
ヒカリ「あの月光電器にお金わたしてることについて。投資の詐欺ですよ。」
C「なるほど」
C「明日、詳しくうかがいます」
ヒカリ「り。子どもが寝てからってことで9時半に予定。」
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