2021年11月29日 神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません


わたしが布団の中で浅い眠りをむさぼっていた午前10時半くらいのことだった。

耳の奥の方で、トボトボと階段を上がってくる音がこだました。

ドア越しに義母である高田永子が、私に声をかけてきた。

「Cさん、ちょっと」

昨日、私が夜勤だったことは、義母は知っている。

普段なら、起こさないように気を使って、せいぜい昼過ぎまでは、静かに眠らせてくれている。

それくらいの心配りはできる人だ。

それなのに声をかけてきたということは、それなりの理由があるということだ。

「まさか」という気持ちと「やれやれ」という気持ちがないまぜになっていた。


夜勤明けの疲労と圧倒的な睡眠不足のせいで、当たり前だが頭が働かない。

昨夜の8時から明け方の4時まで、某スーパーマーケットの改装工事をしていた。

什器(じゅうき)の仕事。

重機とは違う。

商品がのっかっている棚の仕事だ。

商品陳列棚を押したり、引いたり、足したり、けずったりする仕事だ。

そんな仕事を4時までし、5時半に会社へ戻り、他のスタッフと別れた後、自車で少し仮眠をとろうとした。

しかし、エンジンを切ったのが間違いだった。

防寒のため毛布を用意しておいたのだが、そんなのは10分ももたなかった。

後部座席で毛布にくるまり、眠りについた瞬間、あまりの寒さに目が覚めた。

それでも、何度か眠ろうと試みたが、6時半まで寒さに耐えることはできなかった。

私は深くため息をつき、後部座席を開け、運転席へと移った。

ドアを開け、一瞬身震いしてから、運転席についた。

「そりゃそうさ、もう12月になるのだから」

いくら地球が温暖化しようが、冬は来るし、来た冬はやはり寒い、当たり前のことだ。


7時前に自宅に着き、いつもより長めに熱いシャワーを浴びた。

夜勤明けのその日も17時から同じ現場で仕事だ。

シャワーを浴び終え、朝食は抜きにして、ビールと新聞を手に温まった体のまま布団へもぐった。

14時に家を出るから、13時に起きる、8時に寝れば5時間は寝られる、まぁ、ロングスリーパーの私にとって、5時間の睡眠では圧倒的に不足だが、ないよりはましだ。

睡眠時間がとれない時もある仕事だから。

ビールを飲み終わり、新聞を読み終え、いざ眠りにつこうとした8時少し前、遅めに起きた6歳になる息子が私の布団に潜り込む。

子ザルは私の顔をべたべたと触り、耳をひっぱたり、鼻をつまんだりし始める。

夜勤明けの恒例行事だ。

子ザルの襲撃を避けるため、夜勤明けの日は、帰宅時刻を息子たちが保育園に行った後にすることもあった。

今回も毛布を用意し、8時まで会社の駐車場で寝ていようとしたのだが、あまりの寒さに予定変更を余儀なくされた。

仕方ない、いつだって冬は始まるし、子ザルはわずらわしいのだから。

子ザルを何とか追い払い、私は安心して眠りにつくことができる、と目をつむるが、朝方の仮眠とカーテンから差し込む強烈な日差しで深い眠りにつくことなく9時、10時…。

そして、耳に届いた義母の声。


「Cさん、ちょっと、降りてきてほしいんだけど」

「あ、はい」正確にはなんて答えたかはわからない。

多分、何か適当に応答はしたのだろう。

私は鉛のように重くなった体を起こし、階下へと行った。


階段を降りるとすぐ右手に玄関がある。

そこに上野明美が座っていた。

力の衰えたかつてのボス猿のように、申し訳なさそうに玄関の上がり框に腰を据えていた。


「また来たの?!」

私の心の中の第一声。

もしかしたら、声に出していたかもしれない。

私は言うべきことは言い、言わなくてもいいことも言うタイプなのだ。

上野の婆さんに最後に会ったのは、いつだっただろうか?

最近のような気もするし、遠い昔だった気もする。

あのやり取りから、しばらくは顔を見せなかった。

あのやり取りは、2021年の春だったから、ざっと半年ぶりに、上野はうちへやって来た。

いや最近来ている。

あれは夜勤前、寺田氏にインパクトケースを渡しに行った時だから、10月くらいだ。

それから、半月くらい前にも来ている。

ということは、ここ2か月で3度目か、と私は頭の中で計算していた。


「あの~、お金貸してもらえませんか?」上野の婆さんは言う。

いつだってこの婆さんの言うことは決まっている。

「OKNEWOKASITEKUDASAI」


「お金貸して、じゃなくて、あなたはお金を返すほうでしょ?」

いつだって私はそう答え、その日ももちろん、そう答えた。

「うちに来るのは、お金を返す時だけにしてください」と言っても、今までお金を返したことは、もちろん一度もない。

「仮に、一万歩譲って貸すにしても、あなたが1000円でも2000円でも返した後の話でしょ?誠意というものはないの?」

私のそんな言葉は、はなから上野の耳には届かない。

だって、上野明美はお金を返しに来たのではなくて、借りに来ているのだから。


「30万円貸してもらえませんか?」と上野の婆さんは言う。

「だから、貸せるわけないでしょ?馬鹿なの?」

馬鹿なの?は私の心の声、であってほしい。

いつもと様子がおかしい。

なんで上野の婆さんが玄関まで来ているのだ。

なぜ高田家の家の敷居をまたいでいるのだ?


「なんとかならないかね?お父さんの口座から30万円」と義母である高田永子が言った。

そういうことか。

こっちの婆さんも同じ穴のナンタラだったわけだ。


私は深いため息をつき、玄関で話すのもなんだからと、部屋替えしたばかりのリビングへ2人を誘った。


永子の夫、高田優(仮名)は元気な人だった。

昭和19年生まれで、私の父と同じ年だ。

私が妻と結婚したのは2013年39歳の夏、子どもができるまで二人暮らしをしようと、市内のアパートで新婚生活を送った。

それから、高田の家に入り、そこで住みはじめたのは、上の子ザルが生まれる直前の2014年11月。

今でも忘れないのだが、私が住み始めたその日、妻は切迫早産の恐れがあり、出産OK日まで入院中。

高田の義父母は近所の寄り合いのため不在。

使い勝手のわからない家に一人残され、一抹の不安と義父母という他人のいない解放感。

夜、シャワーを浴びようとお湯をひねるが、出てこない。

もっぱらシャワー派の私は、風呂を焚いておくこともしなかった。

まだ本格的に寒くはないとはいえ、そこは11月の風呂場。

水ではないが、お湯でもないヌル冷たいシャワーを気合で浴びて、そそくさと出る羽目になった。

翌日、嫁に聞くと、しばらくお湯のところで水を出しておかないとお湯にならないとのこと。

仕方ない、それくらい古い家なのだ。


「高田の家を建てるのに、ローンを組むことになって、それを返せるのか心配で、心配で仕方なかった」と何度も義父から聞かされた。

基本的に義父は同じ話を何度もするタイプのおしゃべりだった。

「その話は前にも聞きました」とは、私は言わない。

自分のことを優しい人間だとは思わないが、心優しい人間であろうとは努めている。

妻に言わせると、「家を建てたのは、おばあちゃん」つまり、義父の母だと言う。

それも親戚中から、嫌な顔をされながら建築資金をかき集め、それがきっかけで疎遠になったり、いまだに恨んだりしている人もいるとかいないとか。

そのおばあちゃんの葬式に、同じ市内に住んでいるはずの実の娘が来なかったのは事実である。

自分の母の死後、つまり、義父優の妹か姉は、その後、何度か高田の家を訪れた。

私も見かけたことがある。

「あの時のお金を返してくれとかなんとか」そんな話をしていたのかどうかは、私には知る由もない。


私が結婚した頃、私の実父も義父も元気だった。

もちろん、並みの老人としての元気さだが。

彼らが70になるかならないかの頃、実の父は大腸がんを患い、義父は脳溢血で倒れた。

その後、実の父はがんが再発したり、放射線治療やら手術を繰り返している。

今では人工肛門持ちの立派な障害者だ。

義父はここ2年で急激に衰えた。

ふすまを破り、壁に穴をあけ、玄関のガラスを転倒でたたき割った。

足腰が思うようにならないらしい。

筋力が落ちたというよりも、脳の機能が欠損しているように私には思える。

あくまで素人判断だが。

家中に手すりを手作りし、部屋替えをして、義父が住みやすいようにした。

その一環として永子が寝ていた部屋を、私たち夫婦がリビングとして使っていた部屋と交換したのだ。

義母の永子は、掃除をしない人だ、本当に。

その遺伝子の一端を、間違いなく私の妻は受け継いでいる。

今4才の娘の子ザルも立派に受け継ぐのだろう。偉大なるDNA、ファックッキュー。


掃除をしない義母の部屋だった今のリビング、その部屋のドアを初めて開けた時、人の住んでいない古民家のにおいがした。

カビと生活臭がよどんでいる、古い空気のにおい。

もちろん、その時は義母が毎日寝起きしていた部屋だ。

掃除はしない。窓も全く開けない!


私は義母の部屋の物をすべて別室に移し、3日間かけてその部屋を掃除した。

最近になってようやく部屋の空気がまともになってきた気がする。

もちろん、空気清浄機の貢献度合いは大きい。

義父は固定が好きな人だった。なんでも固定する。

Sカンをかしめ、棒状の物、例えば洗濯竿などはひもで縛り、固定先が木であればインパクトドライバーを使い木ネジで固定する。

物が固定されれば動かすこともできないので、もちろん掃除などできない。

掃除ができないので、チリやホコリ、恐らくカビもどんどんとたまっていく!

私から見ると、そんなしゃれた古民家だ。


義父が立派な人だったかどうか、それはもちろん各人の判断によるところのものであるが、私の眼にはとても立派な御仁には映らない。

義父が義母に行っている言動を仮に私が妻に行ったとしたら、3時間以内に「イエローカード、累積2枚、退場!」だろう。

毎日のように新聞のネタになっている言葉の暴力、DVというヤツだ。

以前私は義母に聞いたことがある、嫌じゃないのか?と。

「仕方ない」というような返事だった気がする。

「もし嫌なら、お義父さんを施設に預けるというもの選択肢としてありますよ」と言ったのだが、「いなければいないでさみしい」と義母は言った。

人間がかかわっている限り、そこにはある種の共依存的なものがあるのだろ、DVにしても、詐欺にしても。

もちろん、このようなこと、DVで、その人が立派かどうかの判断ができる尺度とはなりえない。

少なくとも私には立派に見えないだけだ。心優しい人間でありたい私には。

救いなのは、義父の口は悪いのだが、義母は耳が悪いということだ。

高田永子の耳は、都合の悪いことは、余計聞こえなくなるという便利な機能を持った耳だ。

義父は口が悪く、義母は耳が悪い、考えてみれば、うまくバランスの取れた夫婦なのかもしれない。


「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」新約聖書 コリント人への手紙 第一 10章 13節 アーメン


義父の人間性はともかく、社会人としてはごくまともな会社員生活を無事に終えた。

中学卒業とともに県内の某大手電機メーカーに就職し、定年まで勤め上げた。

そこに関しては実に立派な人だと思う。

大学を留年し、フリーターになり、マッサージ屋を開くも経営にとん挫し、今は小さな派遣会社の一役員にとどまっている私は、義父のサラリーマン人生の完走にただただ敬意を払うほかない。

日本のいいところというか、逆に宿痾というか、(※宿痾…長くなおらない病気)義父が勤め上げた某大手電機メーカーは、2011年に別会社へと事実上経営移管した後も、かつて務めていたサラリーマンたちを見捨てることはしなかった。

つまり、一流企業としての年金をきちんと支給しているといういことだ、今でももちろん。

これは大変立派なことであるとともに、現在の日本企業の負担になっている面も否めない。

ここ何十年かで老舗の電機メーカーが軒並み傾いているのは、このような一端もあるのではないかと思う。


私が高田の家に住み始めて、初めて抱いた感想は、「貧相」だった。

貧乏という感じではないのだが、築50年の家に住み、食事や暮らしぶりはみすぼらしかった。

うまく言えないのだが、絶対的なみすぼらしさではなく、相対的なみすぼらしさ。

というのも、義父はかつての一流企業を勤め上げた老人なのだから、それなりの年金をもらっているはずなのだ。

正確な数字はわからないが、どう考えても今の生活と釣り合っていない。

少々の金融リテラシーがあれば、自然に行き着く推論である。


台所には医療器メーカーの浄水器があり、洗濯洗剤や食器用の洗剤などは、スーパーにおいてない横文字が書かれた洒落たものだった。

すぐに察した。マルチだな、と。※本人曰く「これはマルチじゃない」


「この浄水器っていくらだったの?」と家族の者、確か妻に聞いたことがある。

「20、30万くらいじゃない」


百歩譲って浄水器は許そう。

でも、一般的な家電メーカーでなく、なにゆえ無名なメーカーの商品を知り合い、もしくは知り合いの知り合い、もしくは知り合いの知り合いの知り合い…からお買い上げなさるの?

今の時代、アマゾンでポチ、が一番正しい買い物の仕方なんじゃないの??

ネットワークビジネスなんてのは昭和の遺物だと思っていたのだが、年寄りのネットワークは健在なんですね。


浄水器に関しては、一度義母とバトったことがあった。

浄水器に酸性とか、アルカリ性とか、ペーハー濃度を調整する機能がついている。

飲み水はこの濃度、洗顔はこの濃度、薬の水はこの濃度、といった具合に婆さんは使い分けていた。

息子が生まれたとき、私がミルクを作ろうと水道水を使おうとしたら、こっちの水を使って、と言って浄水器の入ったやかんを指さした。


私がやかんを手にすると「そっちじゃなくてこっち、薬の方の水」と水筒の方を差し出した。


「どうだっていいです。本当は水道水でもいいんですよ、わたしは。日本の水道水は世界でもトップレベルに安全なんです。日本の水道水を飲み続けて病気になった人っていますか?あなたの通っている病院の先生は、わざわざ飲む用の水と薬を飲むとき用の水をわけてますか?わけるように忠告されたんですか?」とまくしたてた。

義母は目を丸くし、この人は何をそんなに憤っているのだろうという一種憐みの目で私を見て「こっちの水を使ってね」と薬用の水のボトルを差し出した。

孫思いの優しい老人に感謝。

私は「水をどうこうするより、好き放題にむしゃむしゃ甘いおやつなんか食ってるなよ」と言いそうになったが、たぶん言ってないと思う。

義母は糖尿病持ちで、食事も一応は気を使っているのだろうが、それでも我慢できずに食べてしまうようだ。

その罪悪感に対して、まるで免罪符のようにその他の健康的なことに手を出す傾向にあった。

玄米を食べたりだとか、車で年寄りの健康ジムに通ったりとか。

結局、白米のうまさに玄米は遠ざけられ、健康ジムは会費を払えず退会を余儀なくされた。


ある時期から洗剤の類は、家の中からぱったりと姿を消してしまった。

自分の抱えていた在庫がなくなったのだろう。

使っていた時は、その洗剤の利点を強調していたが、使わなくなると圧倒的なデメリット、値段がネックになり、市販の洗剤を使い始めるようになった。


と、ここで疑問点が。

そうなのだ。ネットワークビジネスにはまっているにしては、家に商品がない、なさすぎる。

同居した当初から、明らかにお金の流れがおかしいと思っていたので、私はあえて家にお金を入れることはしなかった。

まぁ、言われたらいくらかは入れてもよかったのだが、言われることもなかったし、お金はないにしても困っている感じでもなかったので、居心地のいいマスオさんの立場で暮らしていた。

少々お金の流れはわからないまでも、散財している様子もなかったので、それはそれでよしとしていた。


同居すると持ち上がってくるのは家の建て替えではないだろうか。

高田家にも何度かそんな話題が持ち上がった。

理想の間取りやらなんやらをおのおのが描き、義父はエレベーター付きの家を所望した!

あぁ、ロマン砲!

理想は理想としてあれこれと話し、いざ現実的な話になるのが流れとしては普通だろう。

私は義父に聞いてみた。


「家を建てるとしたら、いくら出せますか?」

「お金はないから出せない」


あはは、冗談の好きな老人だな、とその時は思った。

ないない、と言いながら、今どきの老人なら老後資金で1000万くらい貯金しているのなんてざらである。

一流企業の勤め上げ、退職金と年金を合わせてざっと1500万円くらいの預貯金かな、と私は頭の中で試算していた。

もちろん、それを全額もらうのではく、借りるかたちで援助してもらう。

金融機関から借り受け、ローンを月々払うより、老夫婦から借り入れ、月々手渡した方が、こちらとしても大助かりである。

その後何度か「いくらくらい出せますか?」と聞いても「出せない。お金ないから」と楽しい冗談話をしました。


が、雲行きが俄然怪しくなったのが、義母永子からのお願いだった。

「Cさん、今月、電気代が払えないので、立て替えてもらえませんか?」

「えっ、電気代が払えないんですか?」どこの昭和の時代なんだ!?

「えぇ」さすがにばつが悪そうな永子。

「かわまないですけど」と手持ちの1万円だかを永子に渡した私は、考えざるをえなかった。義父の言う「お金はない」はガチ勢なのではないのかと…。


電気代に関しては後日談がある。

私たちの結婚当初、電気料金は義父優の口座から引き落とされていた。

それが引き落とされない、つまり、口座にお金が残っていない状態、なので、その分を立て替えてくれ、というのが上の件こと。

生活費を入れる代わりに電気代くらいは払ってあげようと私は思っていた、電気代も払えないっておかしいと思いつつ。

そこで私は月々多めに、例えば電気料9800円なら1万円といった具合に、端数は切り上げて電気代として永子に渡した。

しかし、数か月後、「電気代が払えないから、来月分を早目にもらえないか」と言われたことがあった。

???意味が分かりません。

きちんと引き落とされるように、毎月電気代分を渡しているのに電気代が払えないなんて。

それが1度ではなく、2度3度とあった。

考えられるのは、そう、電気代の使い込み。

しかし、電気代を使い込んでまで、いったい何にお金を使っているというのだろうか?

使い込み疑惑が発生したので、その後、電気料金は口座引き落としからコンビニ払いへ変更した。


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