私はかつて高田永子に「大丈夫。すべてうまくいっているから。毎日、神様にお祈りしているから。だから、すべてうまくいくし、大丈夫なのよ」と言われたことがあった。
高田永子は熱心かどうかはわからないが、クリスチャンである。
彼女が、毎日、神様にお祈りするのは構わない。
だけど、(ネットワークビジネスが)うまくいくように毎日神様にお祈りしているって、それって何?おかしくない?
受験勉強もしないで、「大丈夫、毎日神様にお祈りしてるから。だから、東大だって受かるから、心配しないで」と、もし自分の子どもに言われたら、あなたならどうする?
私なら張り倒すよ!
きちんと、やることやってから、好きなだけお祈りしてください。
一時期、上野明美は高田永子の通っているキリスト教会に通っていたことがあるということは知っていた。
その後、どうなったのかはしらないが、さすがに高田永子の娘もいる教会には行けないだろう、と私は思っていた。
だから、上野明美の信仰心に関してなどの情報など、手に入っていなかった。
【以下録音内容を抜粋・加筆・訂正等】
「私は、聖書は…」と唐突に話題を変え、話し始めた上野明美。
それまでに、私はもうかれこれ50分以上、上野の話を聞かされている。
(仕方ない)私はうんざりしながら、上野の信仰にかんして耳を傾けた。
>高原剛一郎さん
上野明美は、すっかりこの人に心酔しているようだ。
ご迷惑かもしれないが、一応、アップしておく。
「今までの歴史は、聖書通りになっている」と上野は熱弁をふるう。
おそらく下の著作を参考にしているのだろう。
機会があれば読んでみるか。
『世界は聖書でできている』 高原剛一郎著
信仰に関してとやかく言うつもりはない。
でも、この断定口調は、かなり危険でしょ?
「私が通っている前橋の教会。もう、牧師さん、80歳だけど。言っていることはハテナが多いよ」
すごい、牧師先生をつかまえて、講釈をたれようとしてるんだから。
「今、ユーチューブがあるから、今、いろんな人が解説してくれているから」と上野。
私は広く勉強し、意見を取り入れている。
だから、自然に私の方が正しくなるのはしょうがない、とでもいいたげだ。
これがネット時代における情報収集の危うさだ。
自分の都合のいい情報しか見ないし、そのうち、その人が喜びそうな情報ばかりをネット世界が提供することすらわかっていない。
自分の関心事をユーチューブで勉強なんて、自分を広げる行為ではなく、かえって自分を狭める行為なのだ。
「神様が私たちをつくり、子である私たちは親である神に従うのみ。どうあがいても神様の導き以外に、自分がどうこうしてもどうにもならないよ。自分の努力じゃどうにもならないのよ」
この信念は強いな~。
信じる者のみ救われる、信じなさい、私の子ネズミたちよ!
逆を返せば「うまくいかなければすべてを作り、コントロールしている神様のせい。それは私のせいではない。だって、私たちの努力は関係ないのだから」と究極の他責思考の出来上がりだ!
「聖書信仰」の上野は、まっこうから「進化論」を否定している。
本気で進化論を否定している人間(ネズミ?)と対峙するのは初めてのことである。貴重な経験。
「聖書がわからなかったら、世界がわからないじゃん」頭でっかちの人の発想だな。
宮崎駿の映画『もののけ姫』の中で、ジコ坊が「天朝さま」からの書付を、たたら場の娘に見せるシーンがある。
ジコ坊「天朝さまがシシ神退治をみとめとるんだぞ!」
エボシ「そなたたち、この書きつけがわかるか?」
たたら場の女「はい、エボシさま」
エボシ「天朝さまのだ」
たたら場の女「天朝さまって?」
エボシ「みかどだ」
たたら場の女「みかど…?」
ジコ坊「いやぁまいった。まいった」
世の中、そんなもんです!
聖書がわからなければ世界はわからない?
だったら、わからなくて結構。
知らぬが仏だ!
※特定の宗教に関して揶揄しているわけではありません※
「聖書がわからないと世界の政治もわからないよ」
これは一理あると思う。
聖書を勉強することと、聖書を妄信することは違うと言いたいだけ。
「知り合いのおばあちゃんから400万借りて、その人がクリスチャンだったから教会に行った」
よくもまあ、いろんな人から借りてるな。
初めはお金が戻るようにお祈り(お願い)しに教会に行っていたが、そういうことではないと真実にいたった。
「自称クリスチャンが毎週、教会に行ってます。毎日、お祈りしてます。だから、救われる。そういうことじゃないんだよね。イエス様を信じることだからね」
いや~、この感じのやり方でネットワークの子ネズミたちを洗脳したら…。
上野は、「信じること=救われる」と、子ネズミたちに布教しているのだろう。
このあたり、宗教心の悪用で、ほんとうにタチが悪いよな。
「イエスは、死んで、3日後に蘇った」まず、そこを信じることがキリスト教の第一歩である。
死んだ人が蘇る…そこまで信じきれない人は、ネットワーカーとしては落第だ。
突如、ネットワークの話に戻る上野「やっとものになって。今までの集大成。その時に100万円用意できていなかったら、今までやってきたことがバツじゃん。大崎さんだって困るじゃない」
「ちゃんと1000万来るために、12万ほしいよ、って言ったの」堂々巡りである。
「上野さんの熱意と本気度はわかりました!」もちろん口から出まかせである。「だから、もう一度、寺田さんにお金を出してもらえるか、聞いてみますよ」
「寺田さんが上の人がどうのこうのではなく、私を信じて貸してもらえませんか、ということですよ」
首尾一貫、実に気持ちいいくらいぶれない上野の発言である。
「私はだましているつもりはないけど、日にちは違っているから、だましていることになる」
ここの部分は認めている。
ここを攻めるか?
「私も800万くらい貸したよ」上野は借りるだけでなく、ある時期、貸し手にもなっていたようだ。「旦那が死んだら、保険金で返すって、言ってたけど。離婚しちゃったからさ」
「あの頃、ネットワークとか流行ってたからね。そこでいろいろな人を知ったからさ」
上野は、この手の話が昔から大好きだったのだろう。
うまくいくときもあれば、失敗するときもあり、かつては頑張ればなんとか挽回できていたのだろう。
「未公開株買ってさ、5000万くらいさ。全部パーだよ」
この頃は家族ぐるみ、月光電器の家業として投資にも力を入れていたと思われる。
「いろいろしたよ。人生でしてないことと言ったら、泥棒くらいだよ」
いやいや、自覚してないだけで、あんた泥棒やん!?
「自分がされたことを、今、自分がしているよ」
上野は突然聖書を読みだした。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ19:24)
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章:3節)
「聖書って難しいよ。その一文だけでなく、前後もちゃんと読まなきゃだめよ。あなたも聖書を勉強したら?」
ここまではよしとしよう。(「進化論」にかんしては目をつむる。)
「黙示録」。
これから世界がどうなっていくか?
黙示録に全部書いてある、と上野明美は豪語する。
「ロシア(モスクワ)とイランが最後まで残る。アメリカも中国も残るって聖書には書いてない」とかなんとか、なんかもう陰謀論レベルの話なので、正直聞いててきつい。
「私はただ教会行ってるだけじゃないからね。毎日ユーチューブで勉強してるし」
中川圭一さん、申し訳ないっす!
上野が熱心な聖書信仰者だということはわかった。
そして、その宗教心を糧にネットワークに励んでいるのもわかった気がする。
「信じている人じゃなければ、最終的には救われない」上野明美はそう自分に言い聞かせるかのように強く言った。「だから、私を信じてください」
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