昨日、妻には夜勤と伝えていたが、正確には夕刻の時間帯(14時から22時まで)の仕事であり、今朝もほぼ普段通り8時前には起床できた。
もしかしたら寝ていられなかっただけかもしれない。
少なからず昨晩の電話の件が気になっていたのだから。
私は、起き抜けに妻のヒカリに尋ねた。
「どうだった?」
「お金渡してるみたい」
「どれくらい?」
「500とか言ってた」
「ふ~ん」子どもたちの手前、つとめて平静を装っていたが、心の中では「500!?」と叫んでいた。
500円ではない、もちろん、500万円である。
「う~ん」電話の内容までは聞くに至らなかったが、妻のヒカリ、義妹のコダマ、コダマの夫の3人と義母の高田永子の対立構造になってしまっていたのであろう。
そのことを想像するのは難くなかった。
私は懸念した。
ここで私も妻の側に回ってしまったら、義母としては話す余地もなくなってしまうだろう。
ここはひとつ、むしろ義母の側に立とうと私は判断した。
「お義母さん、ヒカリから聞きましたよ。投資話があるみたいですね。私も株やなんやらやっていて、そういった投資案件に興味があるので、そんなおいしい話があるなら、ぜひ一緒にやりたんで、ちょっと話を聞かせてくださいよ」
「う~ん、それがね」永子としては昨夜のように、また怒られると思ったのだろう。
想定外の私の優しいアプローチに、少々安堵し、心を若干開いて言った。
「わたしもちょっと困ってるのよね」よし、本音が出た、と私は直感した。
「何が困っているんですか?投資がうまくいってないんですか?」
「まぁ、ちょっとね。でも、来月にはまとまったお金が戻ってくるって言ってるから」
「誰が言ってるんですか?」
「上野さん」
上野明美、月光電器の社長夫人。
義母と同じ年代だから70代の人である。(後にS35.7.20生まれと判明したので、60代の誤り)
近所にある自動車関連部品屋の社長夫人で、バブルの頃はそれはまあ、すごい豪遊ぶりだったそうだ。
上野家は市内にバブル御殿を建てて、娘のピアノリサイタルを定期的に開いていたそうだ。
妻のヒカリも子どもの頃、一度だけ行ったことがあると話していた。
「イヤミな感じの家族だった」とヒカリは言った。
家も近く、子ども同士も同年代ということもあり、上野と義母は昔から懇意にしていた。
そして、付き合う中、自然とバブルのおこぼれをそれなりに味わってしまったのであろう。
少なくとも義母にとって、上野明美は信用に足る人物になっていた。
上野家の経済状態はバブルが絶頂期だったらしく、その後は良くなったり、悪くなったりを繰り返した。
繰り返しつつも、ベクトルは右下がりのようだった。
バブルの金回りを当たり前に考えていたのだろう、世の中には簡単にお金が手に入ることがあると、上野は考えている節があると私は感じる。
私が上野と初めて会ったのは、私が高田の家に入ってしばらくしてからのことである。
結婚した時はもう廃業していたのだが、私は自分の店を持ち整体屋をやっていた。
結婚当初は無職だったが、個人事業主として登記上は整体屋を名乗っていた。
しばらく仕事をするつもりはなかったが、結婚しようとしている者が無職だと、世間体とか何かと面倒くさいと思い、あえて自宅での整体業と出張整体を生業にしている、と周り、とくに妻の周りには話していた。
それを聞きつけた上野が一緒にビジネスをやらないかと持ち掛けてきたのである。
月光電器に話を聞きに行くと、一緒にビジネスをやるというよりも、ホテルに出向く出張マッサージをやる人を探していただけだった。
1時間3000~4000円の報酬くらいだった気がする。
私はもうそれまでに、万単位で人の体にさわっていたので、破格の好条件ならともかく、少々のお小遣い稼ぎでまたやろうとは思えなくなっていた。
話だけでもということだったので、月光電器に話を聞きに行ったのである。
月光電器はこじんまりとしたいわゆる家族経営の町工場だった。
自動車関連部品で細かい部品を生産していた。従業員は5.6人はいただろうか。
もうかれこれ、6年くらい前の話なので今はどうなっているのか定かではない。
私と上野明美の間では、過去に一度、借金のやりとりが起きていた。
今回のことも衝撃的であるが、その時も私は少々たじろいでしまった。
今から、3.4年くらい前のことだろうか。(※2018年くらい)
以下、その時の記憶。
家にいた私に義母がちょっと話がある、と言って、家の裏手の物置スペースになっている部屋に連れて行った。
家の中からその部屋に入ると、外からの出入り口のサッシ扉の前で、上野明美が正座をして座っていたのである。
大の大人が小さくなって申し訳なさそうに正座して待っている場面は、生まれて初めてことだった。
「どうしたんですか?」というのが、私の第一声だった。
「ちょっとお金を貸してほしくて」と上野は言った。
「?」私は驚きとともに、正座の意味が分かった気がした。
よく知らない相手にお金を借りようとしているのだ、正座だってするだろう。
「なんで私が貸さなくちゃいけないんですか?」
「誰も貸してくれないんです」
「…。」
誰も金を貸さない相手に、どうして私が貸さなければいけないのだろうか?
私が高田の人間というだけで、上野とはほぼ見ず知らずといった関係なのだから。
「誰も貸してくれない、それが答えじゃないんですか?」
「はい?」上野は私に聞く。
「つまり、あなたに信用なり、返せる能力がないとみんなが見越しているから、お金を貸さないっていう、それが現実じゃないんですか?」
「でも、来月にはお金が入ってくるんです。来月にはお金は戻ってくるので」
「来月、確実にお金が入ってくるのが分かっているのなら、銀行から融資を受ければいいじゃないですか?」
確実に入金があるのなら、つなぎ融資として少々用立ててもいいかな、と私は頭の中で計算した。
「でも、もう借りられないんです」
「銀行が駄目なら、消費者金融とかは?」
少々利息が高くても、入金が確実であるならば、選択肢としてなくはないだろう。
しかし、上野は首を横に振った。
「そもそも、なんのお金が必要なんですか?」と私は聞いた。
「娘の関係で…」娘の関係のお金で、今お金が必要で、来月入金されるって、なんだこれ?と私は思った。
「それでいくら必要なんですか?」と、私は聞いた。
「200万」
「200万?」私の声は上ずった。
「娘さんの関係で、どうして200万も?必要?会社関係のお金で、来月確実に入金があるからっていうならまだしも、そんなの貸せないでしょ、普通」
「はぁ、ダメですか」
「そもそも、200万なんてお金、ポンと出せる人なんていないですよ」
「でも、どうしても必要なんです。必ずお返ししますから」
執拗に懇願する上野明美の眼を避けるように、私は義母に聞いた。
「返してくれるなら、お義父さんとも相談して、貸してあげればいいじゃないですか」
所詮は他人の金だ、義父母がどう使おうが知ったこっちゃない。
「お父さんには、もう話せないから」
そうか、私は合点した。
お義父さんに聞かれてはまずいから、家の中じゃなくて、裏の物置と化した部屋でこそこそ話してるというわけだ。
これはどうもだいぶ雲行きが怪しいな、と私は感じた。
とにかく身内でもない、よくも知りもしない人にお金、しかも200万円!なんて貸せるわけがない。
「う~ん」とうなりながら、私は一計を案じた。
「あなたがお金に困っているのはわかりました。とてもお金が必要なのもわかりました。ただ、私個人が200万なんて出せません。なので、こうしましょう。私の他に19人の人から10万ずつ借りてきてください」
「そんなの無理よぉ」
「どうしても必要であれば、できるはずです。絶対借りなければという熱意があれば、きっと借りられるはずです。19人から借りられたら、私が20番目の者として10万円お貸しします。それで合計200万になります」
その後、上野明美が19人分の借用書をもって、20人目の私のもとにやって来ることはなかった。
今思い返すと、前兆というか、予兆はあったのだ。
しかし、まさか、事態がこんなことになっているとは、その時の私は予想だにしていなかった。
以上、2018年当時の記憶から。
~~~脱線終了。話は、2021年に戻る~~~
「上野さんにお金を渡してるって聞いたんですけど」
「えぇ、まぁ、」どことなく歯切れの悪い永子だった。
「500万」
「うん?う~ん…」
永子の反応がおかしい、違うな、もっとか?もっと渡してるのか?
「500万じゃなくて、もっと渡してるんですか?」私は極力平静を装って聞いた。
「うん」
うん、じゃねえよ!と心の中では叫んでいた。が、永子の側に立つという作戦のため、なんとか自制した。
「で、いくらですか?」
「う~ん、3倍くらい?」
「1500万?」
「うん」泣きそうな顔になってはいたが、永子の表情には本当のことを言えて、少々安堵しているところもあったように思えた。
「はぁ~」私はつきたくなかったが、思わず大きなため息をついていた。「どうして昨日みんなに言わなかったんですか?」
「言えなかったのよね、なんか怖くて、言える雰囲気じゃなかった。だから、500万って」
すぐにばれる嘘はつくな、と私の子どもたちには教えたい。
得られるものに比べたら、失うものの方がよほど大きいのだから。
「それで、小さく500万って言ったわけですね」500万円だって、断じて小さな額ではない!
「それで合計1500万ですか?お義母さん、とりあえず、昨日の給付金の申請書類と今までの経緯のわかるもの、書類、全部持ってきてきもらえますか?あと、銀行の通帳も」
「通帳はいいよ」給付金の書類を私に手渡しながら、永子は渋った。怪しい。とても怪しい。
「何かまずい理由でもあるんですか?」
「ないけど」
「だったら見せてください」
「う~ん」
「お義母さん、ことの重大性を理解していますか?あなたは高田家の財産のほとんどすべてを他人に渡してるんですよ!」ほぼ恫喝するような態度の私に気後れして、永子はしぶしぶ通帳を持ってきた。
高田優名義の信用金庫の通帳。
まず、最新のページを開く、令和3年3月15日、残高は、110円。
110円?なんだこれは、子どもの通帳か?
今振り返ると、確かに前兆というか、予兆はあったのだ。
電気料金の支払いの督促が何度かあった。
そもそも、口座にお金が入ってないから引き落とされないのであって、口座残高がまさかのゼロの可能性は否定できない事実だったはずだ。
でも、そんなことはないだろうと私は信じた、いや、人を信じたかっただけかもしれない。
電気料金の督促が何度か続き、私が頭にきて「私が家計を管理するので、通帳を預けてください!」と怒鳴りつけたことがあった。
その時、永子はかたくなにそれを拒んだ。
まるで、年金という自分たちの財源を渡せないというより、通帳そのものを渡せないといった拒否の仕方だった。
いや、こんなことはない、いい大人がお金の管理ができないなんてことはない、他に通帳があるんだ、と私は思い永子に確認した。
「お義母さん、通帳はこれだけじゃないでしょ?全部出してください」私がそう言うと、義母はしぶしぶ自分名義の同じ信用金庫の通帳を持ってきた。
「…」通帳の残高は似たようなものだった。
「お義母さん、まだ、あるんでしょ?」
「それだけよ」
「だって、え?」え?本当にないのだろうか、その時は半信半疑だった。「この通帳は、引き落としのための通帳で、また別のがあるんでしょ?」
「ないよ」
「え?」永子は嘘をついているのだろうか?でも、今更、嘘をつく心の余裕もないはずだ。
私は冷静になって考えた。
私の頭に浮かぶのは、そこらじゅうガタが来ている、この古くなった高田の家。
退職金と預貯金があれば、十分に住みやすい家に建て替えられたであろう。
そう1500万もあれば、十分な頭金くらいにはなっていたはずだ。
計算は合う、退職金と預貯金をすべて合算したら、ざっと1500万円。
その位の額の資産は、サラリーマン生活を完走し、質素な暮らしをしている高田優にはあると、私は一緒に暮らし始めたころ思っていたのだ。
お金を渡したのはわかった。
でも、どうして、預金残高がほぼゼロになるのだろうか?
もともと、もらっている年金額が少ないせいなのだろうか?と私は考えた。
「少し時間をください」私は一人になって、通帳の中の数字の列を凝視した。
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