9月24日、ネズミを巡る冒険を終え、これからどうしようかと思い悩んでいた私に、寺田氏からラインが来た。
私も、新潟運輸勤務の田嶋徳仁氏までは、つかんでいた。
ただ、例の田嶋徳仁かどうかは定かではない。
そして、徳仁のその先にはいっこうに進めなかった。
そうじゃない、そうじゃなかったのだ。
徳仁は、田嶋だけど、田嶋ではなかったのだ。
ある理由から、ネット上では田嶋ではなく綾部と名乗っていたのだ。
たじまのりひと
君のことは、これから「のりちゃん」と呼ばせてもらおう。
私のことは、Cさんと呼んでもらって構わない。
24日に寺田氏から情報提供があり、それから私は眠れない夜を過ごすハメになった。
その代償として、私はのりちゃんの情報を、大量に得ることができ、のりちゃんの人となりも、垣間見ることができた。
そして、あの組合跡地の奥の家にいるのは、のりちゃんなのでは、と思わざるを得なくなっていた。
そして、激務の合間を縫って、ノムダと一緒に再び高崎を訪れる…予定だった。
が、仕事が伸び、ノムダには悪いので、夜、一人でかの地へと赴いた。
時刻は20時前。
あたりは街灯も少なく、閑静な住宅街でうろうろしていると通報されそうな人気のなさである。
私は、車を組合の跡地の駐車場に横付けし、静かに車を降りた。
もう夜のとばりはおりているので、仮に住民がいたとしても、声をかけるつもりはなかったが、一応、センターの電気がついているか確認した。
電気はついていなかった。
2番目と一番近い家の電気はついていた。
2番目の家の者とは、24日に、会っていて、タジマさんに名刺を渡しておいてくれ、と言づけておいた。
組合跡地の駐車場。
24日は、車が1台停まっていた。
29日の夜は、同じ車ともう1台、別の車が停まっていた。
24日と29日、両日ともに停まっていたのは、この手前の車だ。
アイスクリームがたんまりと入ったメロンソーダが溶けたような色のステップワゴンだ。
24日、我々3人は、その車を目にしている。
とくに気にも留めなたったが、何かが私の中で引っかかった。
しかし、その何かは、その時はまだわからなかった。
のりちゃんのブログを読み、ツイッターを読み込み、24日の私の抱いた違和感に、私は気づいた。
ナンバー。
この車のナンバーは、「大分」だった気がする…。
群馬県で大分ナンバーの車なんて、ついぞ見たことがない。
大分ナンバーは、私の思い違いか?
私は、それを自分の目で確認したかったのだ。
もちろん、何かの偶然かもしれない。
でも、こんな偶然あるか?
大分と言えば、綾部健太郎のゆかりの地である。
たまたまなのか?それとも関連があるのか?
いずれわかる時が来るであろう。
そういえば、寺田氏が、過去のストリービューを私に見せて、「この時までありましたね」と言っていたことを思い出した。
これは、寺田氏とグーグルのお手柄だ。
グーグルのストリートビューは、現在のものだけでなく、過去のものも見られるようになっている。
最も古いのが、2012年8月時点のもので、最も新しいのが、2025年4月時点のものである。
2012年8月の写真。
看板には、(有)OMTの文字だけ。
2015年、2021年の看板は「GEO 共同組合 ぐんま環境ビジネス研究会」とその下に「(有)OMT」
2022年7月の写真では、看板が取り外されている。
そして、2025年4月の写真は、建物自体が取り壊され、駐車場になっている。
組合の建物が建っていたこの土地は、いったい誰の土地なのか?
それを探るのが、目下やるべきことだろう。
そして、グーグルのお手柄をもう一つ。
政治好きな田嶋光子。
手掛かりはあるもんだ。
2012年と2015年の写真に、「田中ひであき」の応援看板が、組合の建物に立てかけられている。
グッジョブ、グーグル。
田中英彰
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