義父は、約2年間、老人ホームの天井を見続けながら、最期の時を過ごした。
そして、天をつかむように天井に手を伸ばしながら、天に召された。
天国に行けたなら本望だろう。
なにせ、彼は敬虔なクリスチャンだったのだから。
たぶん、あれからもー義父の年金をこちら(私たち娘夫婦)でおさえてからもー高田のばあさん永子は、上野明美とやり取りをしていたのだろう。
おそらく、なけなしの自分の年金を「翌月には戻る」というやりとりに賭けていたことを想像するに難くはない。
まぁ、せいぜい年に60万円といったところだろうか。
高田永子が、下品な趣味に金を使っている、下品な老人だと思えば、投資詐欺にロマンを抱くのも許せなくもない。
自分の年金の範囲内で楽しむならまだいい。
が、生活のための金にまで手を出すのは話が違うし、やりすぎである。
高田優が死んで、おそらく友人の少ない高田永子が上野に話をしたのだろう。
葬式の前の夜に線香をあげさせてくれ、とやってきた。
私だって、誰かが故人を偲ぶ気持ちを無碍にする気はない。
上野のその気持ちを素直に受け入れた。
葬式も落ち着き、万が一に備えて、生命保険の管理を嫁のヒカリに任せた。
優にかけていた死亡保険金が少なからず永子におりるのだ。
まさか、もう2度とバカなことはしないだろう、と思いつつも、全幅の信頼を置くわけにはいかない。
なにせ永子は筋金入りのバカなのだから。
上野が再び私の目につくようになったのはいつの頃だったのか?…
葬式が終わって、家のことも少し落ち着いたころの4月の半ばくらいだろうか。
はじめはなぜ上野が家の周りをうろついているのかわからなかった。
なにせ、こっちは金を貸している側で、上野は金を借りている側である。
そして、返済はいまだになし、ゼロ円。
返すあても、返す気もないのに、借主のもとにみすみす姿を現すものなのだろうか?
よくよく考えればわかる。
簡単なことである。
上野明美は、金を借りに来ていたのだ。
高田のばあさんもかなり渋ったのだろう、だから、上野がしつこく、高田のばあさんにつきまとっていたのだ。
しかし、根負けして、またまた上野に金を渡した…。
4月半ばに現れるというのは、年金が振り込まれるタイミングを見計らって、上野がやって来たということだ。
高田のばあさんから取り上げた通帳を見れば一目瞭然。
4月に振り込まれた高田優の最後の年金(厚生+企業)約34万円が、ごっそり引き出されている。
そして、その引き出された34万円の横には、ご丁寧に「うえの」とメモを書き残している。
高田のばあさんは、振り込まれた年金をごっそり上野に渡していたのだ。
その事実を知った私は、ばあさんを問い詰めた。
そしたらお決まりの「来月に戻ってくるから」…。
お前さ、何年そのやり方にやられているの?
馬鹿なの?
趣味なの?
現に、義理の妹、コダマの旦那は、ばあさんの行為は趣味だ、と言っている。
もういい加減頭にきた私は、ばあさんから通帳ごと、すべての資産を取り上げた。
私の実の母は言っている。
「生きているうちに、生きたお金を使いたい。自分のためではなく、子や孫を幸せにするお金の使い方をしたい」
そういいながら、つましい暮らしをしている。実に立派な人である。
だから、私も高田のばあさんには、そのような、私の母のような人になってもらうことにした。
私がばあさんの資産・財産を預かり、すべて私の中のいい高田のばあさん(イマジナリーおばあさん)が使いたいように使う。
現実のばあさんには悪いが、これからは想像上のばあさんを相手にすることにした。
高田のばあさんの資金源を断ったのだから、もううるさいハエはたかってこない…はずだった。
しかし、ハエは想像以上にしつこかった。
6月。それは偶数月。それは年金の入る月。
のどから手が出るほど金の欲しい上野は、高田のばあさんの口座にお金があるのに、何もせず指をくわえてみてはいられなかったようだ。
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