結局その後上野からの借金の返済はあったかというと、もちろんない。
※ブログ執筆時、2021年年の瀬、いまだにありません。
※※ブログ加筆時、2025年7月、いまだにありません。
ゴールデンウィーク前、遅くてもゴールデンウィーク明け、遅くても5月末、までにまとまったお金が戻ってくると信じていた義母の高田永子の手元にまとまったお金が戻って来るはずもなく、5月も終わろうとしていた。
私、妻のヒカリ、ヒカリの妹のコダマ、そして、コダマの夫は、ごく当たり前だが、お金が戻って来ないものだと考えていたので、永子に意地悪にそのことを言ったりはしなかった。
今までのことは仕方ない、これからは家族全員で襟を正して、義母も今回のことで懲りて、まっとうな人生に舵を切ってくれればいい、ということにしようという考えだった。
少なくとも私は。
5月中に何回か上野から金の普請の電話があった。
その都度、上野は「来月には返って来るから」と言い、私は「例の物件の権利書をくれるなら」と繰り返した。
5月31日、その日は上野明美の初めての返済日だった。
私は上野はすっとぼけるだろう、と思っていた。
しかし、前日の5月30日、上野は少し反省の色を見せながら、電話でお金が返せないと正直に伝えてきた。
返す気は一応あるのかな、と思った。
ない袖は振れないので、それをどうこうしようとも思わなかった。
一応、借用書はあるのだから、相手の出方次第で本格的に取り立てに行ってもいいわけだし。
妻ヒカリへのライン
C「今日、5月30日、上野さんから電話がありました。
5月31日の最初の入金、3万円は6月20日まで待ってくれと
のことです。
無い袖は振れないので、了承しました。
6月20日、3万円
6月30日、3万円
6月30日、9万円
来月末の支払いは15万円になるので、それ次第で上野さん
の親族を交えて、お話し合いを始めたいと思っておりま
す。」
6月になり、上野は借金を返したか?
もちろん、返すことはなかった。
上野の親族と話をしようかと思ったが、面倒くささと、仕事の多忙さやらで、上野の借金ももう半ばあきらめていた。
しょせん、私が貸した金じゃないのだから。
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